武蔵坊弁慶。
生年不祥。
幾つかの記録から、元は僧兵でかなりの乱暴者らしかった事。
後に源義経に仕えたらしい事は、分かっているのですが、その生涯は謎に包まれています。
私達が良く知る弁慶の話は、小説やお芝居での創作です。
その中でも有名なのが、京都五条大橋で義経と闘うシーン。
弁慶は京で道行く人々を襲っては刀を奪い、999本まで集めた所で、五条大橋を笛を吹きながら通る義経と出会います。
弁慶は義経に太刀をかけて闘いを挑みますが、身のこなしが軽い義経に負け、その日から忠実な家来となりました。
…というお話。
実は当時京都には五条大橋が無かったそうで、そうなると999本という本数はもとより、二人は本当に一戦交えたのだろうかという事まで疑問になります。
「それは百も承知二百も合点。」
判官贔屓の人からはそんな言葉が聞こえて来そうです。
確かに作り話として片付けてしまうにはもったいない良く出来た話です。
そんな弁慶は今でも日本の人気者で、屋号や商品名に弁慶の名を冠した物は沢山有ります。
「弁慶の泣き所」「内弁慶」等の慣用表現もよく使われます。
ちなみに「内弁慶」は、正確には「内弁慶外地蔵」と言うそうです。
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