奈良時代に中国から渡って来たとされる遊び道具。
当時は鹿の革でできていて、貴族の男性が蹴って遊んでいました。
室町時代の頃から手を使う女の子の遊びに変化し、それと同時に絹糸を巻いた物が登場したようです。
手まり歌が広まったのもこの頃だと言われます。
昔は女の人が嫁入りをする時、『円満な家庭を築く』事を誓い、手毬を嫁ぎ先に持って行ったそうです。
柳川の「さげもん」と稲取の吊し雛はよく似ていますが、この毬の扱いが少し異なります。
さげもんでは、大毬を中央に吊し、周りの糸には小毬とその他の細工物を交互に結び付けます。
吊し雛には特にこの様な約束事は有りません。
(さげもんも、それ程厳密ではないようですが。)
また毬自身にも違いが有って、さげもんの方は糸を巻いた普通の毬を用いるのに対し、吊し雛では「七宝まり」と呼ばれる図の様な布細工を使います。
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