らぶタン🔠クロスワード
<History>

🇯🇵日本初のクロスワードパズルは、1925(大正14)年の「サンデー毎日」3月1日号です。 これは欧米での流行のわずか半年後でした。 『新知識遊戯・嵌(は)め字』と呼ばれました。 1ヶ月後には「アサヒグラフ」「文藝春秋」と広がって一大🔥ブームとなりました。 6月☔にはパズル週刊誌が発刊され、クロスワード模様の♨浴衣やゲーム盤が飛ぶ様に売れ、🎬劇映画『クロスワード💰成金』(日活)が製作される程でした。

ア■ス
サグル
ヒラメ
■フ■

「アサヒグラフ」
大正14年4月8日号の
例題

当時の文藝春秋の🎯懸賞では、🙅不正解者の名前まで発表していて、島崎藤村や時雨音羽(唱歌🎿スキーの作詞者)の名前も載り話題になったそうです。
問題の作成には、記者や小説家が動員され、「✒文壇某大家二氏の合作」と銘打った号の✏編集後記で、「作るのは大変だから、まじめに解答せよ」と応募者に注文を付けるくらい、手間が掛かっていました。 現在の様に専門の🏢制作会社なんて有りませんから、すぐに質の⤵低下を招き、景品詐欺😜の横行も有って、ブームはたった1年で終わりました。
その後クロスワードパズルが復活するのは、戦後の1959(昭和34)年の事です。

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「アサヒグラフ」の最初の
懸賞はこんな形

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