✏お守りコラム
−第8回−
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この話、歴史ミステリー好きの間で良く取り上げられる題材の一つです。 いくら今よりも神や仏が信じられていた時代とはいえ、あまりにも有り得ない話である上、火元の寺がその後何の罪にも問われなかったと記録されているからです。 そこから大火の本当の原因として幾つかの説が語られています。
一つは、火元の寺がこの噂を広めたとする説。 しかし、たとえ小僧の火の不始末が原因だったのが、供養の最中の事故に変わったとしても、寺の過失は過失。 罪は免れません。
そこで登場するのが、江戸の再開発を目論む当時の老中の一人による放火説です。 確かに大火後、その教訓から様々な都市整備が行われたそうですが、江戸城の本丸まで焼く火災で将軍の命を危険にさらす様な事を時の高級官僚が企てるのには無理が有ります。
現在最も有力とされるのは、寺の隣の(上記とは別の)老中邸の失火説です。 10万人近い死者を出した大火災の原因が、幕府方の過失ではシャレになりません。 「お咎め無し」にする事を約束に、隣の寺に罪を被ってもらったとする話は、前の二つに比べて説得力が有ります。 でも、真相は今も分かっていません。
この火事は、明和九年の火災、文化三年の火災と併せて「江戸三大大火」と称されますが、この三つの内訳が今後も変わらない事を祈ってやみません。
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今回はお守りの話からだいぶ脱線してしまいました。。。 これに懲りずに、次回もお付き合いください😉。

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