✏お守りコラム
−第26回−
【5/5】
■西方寺(さいほうじ)
この寺にまつわる猫の話は「薄雲伝説」と呼ばれます。
時は元禄(1688-1704)、吉原の遊郭三浦屋に、薄雲太夫(*注1)という通り名のナンバーワンが居ました。
彼女は大の猫好きで、特に一匹の三毛猫を異常な程に可愛がっていました。
おいらん道中(*注2)にも、付き人に猫を抱かせて歩く始末。
ある日、厠(かわや)に入ろうとした薄雲の後を猫がしつこくつきまとうので、気味悪がっていた所、三浦屋の主人がやって来て、なんと、猫の首を脇差ではねてしまったのです。
日頃から薄雲の猫好きに腹を立てていたのでしょう。
猫の首は宙を舞い、厠の天井に居た大蛇に噛み付きました。
命拾いをした薄雲は、浅草の西方寺に猫塚を建て、丁重に供養しました。
その後猫塚は関東大震災で焼けてしまい、お寺も浅草から巣鴨に移りました。
◇◇
西方寺は「おばあちゃんの原宿」として有名な巣鴨から西に2〜3km行った、沢山の檀那寺が集合した寺町の一画に在りました。
浅草から移って来た際に造られた招き猫の石像が、門柱の上に立っているはずなのですが、それらしい物が見付かりません。
住職に尋ねると、つい最近何者かに壊されてしまったんだとか。
心無い事をする人も居るものです!
そもそも、生きている猫の首をはねてしまった女郎屋の主人が、一番心無いのですが。。。
「生類憐れみの令」真っ最中の元禄時代、いくら吉原という特殊な世界でも、そんな法令違反が簡単にできたのでしょうか。
筆者には甚だ疑問です。
◇◇
今回は、関東以外にお住まいの方には❔な話だったかもしれません🙇。
近い内に「関西招き猫巡り」もお届けする予定ですので、ご期待ください。
*注1:だゆう
上位の遊女(女郎)。
花魁(おいらん)とも。
*注2:
花魁が盛装し、従者を引き連れて行うパレード。
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