✏お守りコラム
−第8回−
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次郎吉のプロフィールについて補足しておきます。 寛政四年(1797年)の生まれ。 若い頃は芝居の大道具を造る鳶職人をしていたと言います。 根っからの博打好きで多額の借金を負い、泥棒稼業に足を踏み入れたようです。 今で言う頭脳犯で、武家屋敷専門に忍び込み、足が付かない現金だけを盗んで行きました。 1825年に一度捕まりますが、「十両盗めば首が飛ぶ」時代に彼は軽い刑で済んでいます。 これは武士達が体面を気にして被害届を殆ど出さなかったからです。
そんな彼も、天保三年(1832年)二度目に捕まった時は、さすがに極刑を免れませんでした。 どうせ死罪になるのですから、取り調べで有る事無い事かなり大げさに供述したみたいです。 それが大泥棒伝説として世に広まりました。 彼が貧しい人達にお金をバラ撒いたというのは全くの作り話で、大半は博打や酒に消えていったそうです。 それでも、この話は芝居の出し物として町人達に大いに受けました。
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博打のせいで、芝居の仕事が続けられなくなり、泥棒の世界に。 死後その泥棒談が芝居の人気演目になり、墓は博打好きによって盛んに盗削される。 なんとも皮肉な話です。

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