✏お守りコラム
−第8回−
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次郎吉の墓が在る回向院は、明暦の大火の犠牲者を供養する目的で建立された寺院です。
明暦の大火は、明暦三年(1657年)1月18日〜20日にかけて江戸市街の55%を焼失し、死者107,046人を出した日本史上最悪の大火災です。
この大火は、別名「振袖火事」と言われます。
江戸に住む16才(17才説も)の娘「おきく」(他の名前の説も)が、花見で偶然見かけた若いイケメンに一目惚れ。
恋わずらいからか日に日にやつれていく娘を心配した両親が、男が着ていた服と同じ柄の振袖を新調してあげるのですが、その甲斐無く翌年1月16日に他界してしまいます。
(振袖は新調したのではなく花見の日に着ていたとする説も)
当時若い娘が死ぬと、一番の晴着を棺に掛けて埋葬するならわしでした。
その着物は墓掘り人足が古着屋に売り、お駄賃にする事が了解されていたのです。
そうして振袖は、別の16才の娘の手に渡ったのですが、着物を手にして以来病気になり、翌年1月16日に死んでしまいます。
そしてまた別の16才の娘に渡り、これまた翌年の1月16日に死んでしまいます。
この娘の葬式の日、命日という事で寺に来ていた前の娘の親族が、その振袖を見て驚愕します。
三家は相談して、振袖をお寺で供養してもらう事に決めました。
そして1月18日、その日は朝から強い風が吹いていたそうです。
読経の中、火に振袖をくべた所、折からの強風で舞い上がり、火の付いた振袖は本堂の屋根に落下。
瞬く間に燃え広がったと言います。
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