✏お守りコラム
−第16回−
【3/3】
金太郎が生きていた時代は平安ですが、物語が普及したのは江戸時代です。
金太郎は、都で名を上げた"地元のヒーロー"として江戸の人々に大いに受けたのでした。
歌舞伎や浄瑠璃などの出し物の他、男の子の成長を願う五月人形(*注)や浮世絵の題材としても人気者だったのです。
で、何の話でしたっけ?
そうでした。
金太郎飴の話でした。
金太郎飴は江戸時代から続く関西のお菓子で、絵柄も関西出身のオカメ(お多福)や福助さんでした。
それを明治の始めに東京浅草の飴屋が、関東で人気の金太郎の絵柄にして売り出したのが始まりです。
大正に入って「飴の中から金太さんが飛び出たよ」のキャッチフレーズで全国展開。
一躍ヒット商品となりました。
現在「金太郎飴」と言うと、『どこを切っても同じ』事から組織や人柄が画一的でつまらないの意味、どちらかと言えば悪口で使われるケースが多いのは残念な事です。
どこを切っても「気は優しくて力持ち」。
どんな苦難に遭っても意志を曲げない。
きりりと一本芯が通った、そんな男の子が増えて欲しいと願う今日この頃です。
↗足柄大橋の金太郎像
🗾神奈川県足柄上郡開成町
📷カメラ付ケータイで撮影
*注:
五月人形は「人形」と名が付いていますが、雛人形と違って人形は有りません。
鎧兜に、弓矢、太刀、陣笠、軍配、陣太鼓、軍扇などを添えて飾ります。
戦の無い江戸時代、武家が夏に入る前のこの時期に甲冑を虫干ししたのが始まりと言われます。
甲冑を持っていない町民は、代わりに金太郎さん、桃太郎さん、牛若丸、鍾馗(しょうき)さん、張り子の首振り虎などを飾りました。
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