✏お守りコラム
−第31回−
【1/4】
🔶縁起を気にする❗気にしない❔
今回は2部構成で行きたいと思います。
§1.縁起を担がない人ほど他力本願:
お守りや縁起物が大好きな人も居れば、一方で殆ど興味の無い人が居ます。
験(げん)担ぎをよくしたり、ジンクスを気にする人も居れば、全く無頓着な人も居ます。
お守りや縁起物に自分の目標を託す(言付ける)人は一見、他力本願に思えますが実はそうではありません。
21世紀のこの時代に、お守りや縁起物"自身"が、幸せを運んで来ると信じている人が何処に居るでしょうか。
何かのお守りを手にしただけで幸せになれるのなら、誰も苦労はしません。
「らぶタン●お守り」も、もっと流行ってるハズです(笑)。
そうは言っても、オカルトじみた開運グッズなる物は、今でも(筆者の好きな)三流雑誌の後ろの方の広告スペースを賑わせています。
相変わらず笑っちゃう様な"ネタ"が多いのですが、中には妙に引き込まれてしまう誘い文句も無い訳ではありません。
人生設計に影響してしまうほど高額の商品、いわゆる霊感ナントカならいざ知らず、ほんの小遣い程度のお値段なら、あなたも私も手を出してしまうかもしれません。
そして一時(いっとき)、お守りの不思議な力に、少し多めの期待をしている自分がそこに居ます。
でもそれは、たいていは短い期間で終了します。
なぜなら、お守り"自身"が事態を良くする確率は、物事が"自然に"解決する確率と全くのイコールだからです。
こうして、お守りの『軽い裏切り』を経験して、人はお守りとの付き合い方を変えていくのです。
一部は残念ながら、お守りや縁起物といった類に訣別してしまう人。
そして多くは、お守りを頼る対象ではなく、最後の頑張りを見守ってもらう存在へと昇華させる人。
難しい言い方をしましたが、要は目標を達成するのは誰でもない自分自身の力である事、自分を幸せにするのは自分しか居ない、という当たり前の事を当たり前に心得る人です。
このコラムを読んでいる方の殆どが後者の状態、すなわち「普通の大人」であると思います。
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