✏お守りコラム
−第22回−
【4/7】

■牛若丸
■金太郎
■鎮西八郎為朝
お坊さんが続いたので、お侍さんに行きます。 牛若丸は、平安末期の武将、ご存知源義経の幼少の頃の名前。 金太郎は、第16回でも説明しましたが、平安中期の武将坂田金時の子どもの頃の名前です。 この二人の絵や人形は、「尚武(しょうぶ、勇ましさを尊ぶ事)」の縁起物として、武家に限らず多くの家の男子に贈られました。
さて、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)とは誰でしょう。 鎮西八郎こと源為朝は、平安末期の武将で弓術に優れた豪傑だったそうです。 彼も尚武のお守りにされたのでしょうか? いいえ違います。 彼は疱瘡除けのお守りになったのです。 為朝は保元の乱(1156年)で後白河天皇に敗れた崇徳上皇方に付いた為、戦後捕らえられ伊豆大島に流されました。 その後、八丈島に移り住んだ為朝は、その地で生涯を終えるのですが、八丈島で疱瘡が一切流行らなかった事から、為朝が疫病神を追い返したと伝えられる様になりました。 人の出入りが殆ど無い絶海の孤島ですから、伝染病が流行するリスクが非常に少ないのは、現代人にとっては常識ですが、江戸時代には、為朝を描いた錦絵が、疱瘡にかかった病人にお見舞い用として贈られました。 牛若丸や金太郎の人形は、今でも端午の節句近くになるとデパートや人形店で見ることができます。 しかし、鎮西八郎為朝の絵は、博物館にでも行かないと目にする事はできません。

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